猫にも相性があるんだから、人間にも相性ってありますよね。
相性って
とてもいい人って分かっているのですが、なんだか歯車が合わない人っています。
自分が生活していく中で、取捨選択ができる人間関係なんて、大したことはなく、関わらなければならない人との関係が悩ましい感じ。
いい人なんだけどなあ、..ちょっとワタシには・・・的な人との付き合い方を実践していることがあります。実践というか、とらえ方というか。
自分の中学校時代や高校時代にその人と同じクラスだったら、友達になっていたか、
どんな関係になっていたか、と置き換えてみるのです。あー、多分、挨拶程度しかしなかった○○さん的な位置かしら、と、置き換えてみると、結構、納得します、ワタシは。だいたいクラスの誰かに当てはまったりするんですよね。
なので、「もし高校の時同じクラスだったら、こんな感じの付き合いだったろう」と思うと、ま、しょうがないよな、もういいや、みたいな気持ちになって、無関心へと移行していきます。
あまり近い関係だと使えない置き換えですがね。それが一番ネックなんですけどね。
許すように教育されてきた
子どもってイジワルなんです。ワタシも子どもの頃、イジワルで残酷だったような気がします。天真爛漫、純真無垢、なだけに。
息子がそれこそ幼稚園や小学生の低学年のころ、
「○○君がたたいた」「おもちゃを取った」等々のケンカがあると、決まって先生は、
「はい、○○君、ごめんね、して」
「ごめんね」
「いいよ(悔しくて泣きながら)」
「はい、握手して。なかなおり」
みたいなことを刷り込まれ、謝れば、許さないといけない。
謝ったのに許さないと悪、みたいに解決へ無理に向かわせる教育でした。
そう、息子が小学2年くらいの時、同じクラスの子に砂を頭からザーっとかけられ、なんかエスカレートして、漏らしただのなんだのと、ウソを吹聴された時があり、
その時の担任の先生が、息子に
「○○君、謝ってるけど、許せる?」と聞き、息子が
「許せない」と一言
「うん、許さなくていいよ」
と、先生が言ったのです。その会話のやり取りを聞いていたワタシの方が、「え、許さなくていいんですか?」みたいになりました。
先生は「だって、許せないくらいひどいことされたもの、ね」
「うん」
目から鱗が落ちまして。いい先生や(涙)初めて、先生という立場の人から「許さなくてもいい」という言葉を聞きました。
その後、そのケンカした子とは何もなかったかのように仲良くなっていきました。
「許す」って大事なのですが、「許さないといけない」はなかなか難しいです。
ワタシは煩悩の塊なので、まだまだ、修業がたりません。はい。
修業が足りんぞ!飼い主!
そして、部屋が汚いぞ!